ある人との出会いで、自分が親と共依存関係になっていることに気づいた私は、
その共依存というものが本当に大事なものまでも奪っていることに気づきました。
私は、大きな決断をしました。
両親と共依存関係を断ち切ろう。
もう父には生活費を送らない。
もう母を必要以上に心配しない。
本当に大事なものを大切にしよう。
本当に大事なものとは・・・・
それは親を大事にする自分ではなく、自分を大事にする自分と、
こんな私を最後まで見捨てず見守ってくれていた夫だ。
それ以上に大切にしないといけないものはないと気づいたのです。
さあ、両親に私の思いを伝えよう。
伝えるのはとても勇気のいることで、自分との闘いでもありました。
でも、負けたくない。
よしっ!まずは母から。
「私は今まで必死に父に生活費を送ってきたけど、それは間違いだった。良かれと思ってやってきたことが、父をダメにしてしまったし、自分の生活までダメにしてしまった。これからは私たち夫婦のために生きていきたいと思う」
母は「じゃあ、どうしたらいいの!」
不安そうな声と、絶望の声と、でも娘にここまでさせてしまった申し訳なさそうな声と、色んな感情の声でした。
「父がもう働けないようなら、生活保護を受けてもらうしかないと思ってる」
母は最初動揺していましたが、少しずつ冷静になり納得してくれました。
さあ、今度は父に伝えよう。
「これまで生活費を送ってきたけど、もう貯金もないし、これからは私たち夫婦のためにお金を使いたい。もし働けないようなら生活保護を受けて欲しい」
父は寂しそうな声でしたが「分かった」と言いました。
私はそれから二人の子どもに恵まれ、本当に大事なものを大切にしました。
しばらくして、市役所から父の生活保護申請があった旨の書類が届きました。
娘の私の署名と、私が父の生活の面倒を見れない理由を記入するものでした。
それから父は働かず生活保護でなんとか生きていき、
60歳になって年金を受け取る生活になりました。
残念なことに、年金が入るようになったことでどんどんお酒に溺れるようになり、
長年お酒で身体を痛めつけた結果、最後は肝臓の病気で亡くなりました。
父が亡くなった時、何かが終わったような、解放されたような、
本当に心からこれで全て終わったんだ・・・と思いました。
実は・・・
父に生活費を送らなくなってから、父は転落していきました。
警察のお世話になってしまったこともあるし、
悲しいことに自ら命を絶とうとしたこともありました。
その度に私は自分を責めたくなりましたが、本当に大事なものを見失わないように必死でした。
父と母と私は長い間共依存関係に陥り、そのことに翻弄された人生でしたが、
それでも私は今、生きています。
しっかり今を生きています。
その生きていることが自分の強み。
これからもそんな自分に自信を持って生きて行こうと思います。
これで「弱い自分が強い自分に気づいた話」は終わります。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。