繊細ちーさんの優しい笑顔の向こう側

繊細さをプラスに変えて50歳から楽しむことを見つけていくブログ*アダルトチルドレン*HSP*

弱い自分が強い自分に気づいた話~必死に生きた青年期①~

前々回、前回と続けて同じテーマでブログを書いてきました。



ずっと自分は弱いと思って生きてきた私が強い自分に気づいた話。


sensaichi-san.com

 

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今回は大人になってからの自分を振り返ってみようと思います。



その頃、父のアルコール依存症は手が付けられない状態になっていました。



部屋の隅っこに座りお酒を飲んでる父は、見えない誰かと話をしていました。



その誰かとゆっくり話すこともあれば、怒ったり、時々笑ったりもする父の姿はとても不気味で、恐怖でした。



働かない父への憎しみは増えていくのですが、同じぐらい可哀そうでなんとかしてあげたい気持ちも増えていきました。



幼い頃とても愛情を注いでくれた父を私の記憶は忘れていませんでした。



その二つの感情に押しつぶされそうで、毎日毎日もがいていました。



そして、誰にも助けてと言えないまま私は大人になり、就職しました。



当時付き合っていた夫にも何も言えないままでした。



少しでも母を楽にしたい一心で無我夢中で働いていた記憶があります。



生活のため、借りていた奨学金を返すため、夫との結婚資金を貯めるため、



何かに追われるように働きました。



そしてある日、私は勇気を出して母にお願いをしました。



「離婚してほしい」



父が立ち直るにはこれしかないと思っていました。



母がとても動揺していた記憶があります。



すでに共依存関係に陥ってた父と母。しばらく母は悩んでいたようでした。



ある日のこと、父と母が話し合っていました。



ちょうどその頃、私は奨学金の返済が終わり、結婚資金を貯めれるようになっていました。



そして自然と夫との結婚の話が出ていました。



「娘が安心して結婚出来るように、親として自立し離婚しよう」



私の幸せを考えてくれた父と母の決断でした。



そして、父は生まれ変わったようにお酒を控えるようになり、仕事も見つけて働き始めました。



しばらくして、母と私は父に別れを告げて小さなアパートに引っ越しました。



父と離れるのはとても辛いことでしたが、これがきっと父を立ち直らせてくれると思い、張り裂けそうな気持ちを必死で抑え込みました。



きっと母も同じ気持ちだったと思います。



母は離婚し、父とは他人になったけど、私と父は親子で、これからも父を応援したいと思っていました。



これで、やっと幸せになれる。



そう思っていたのに・・・



その時すでに私は父と共依存関係に陥ってたことに気づいていませんでした。そして母とも。



そして、ここからまた地獄のような苦しみが始まるとは思ってもいませんでした。



今日はここまで書いて終わりにしたいと思います。



辛い過去に向き合うのはしんどいのですが、強い気持ちを持って書いています。



もう過去の自分を手放すために。



最後まで読んでいただきありがとうございました。