前回の投稿で、「あなたは強い人だね」と言われて驚いた話を書きました。
今までずっと、自分は弱い人間だと思って生きてきた私は、
その言葉のおかげで自分に強い部分があることに気づきました。
とても辛い家庭環境で育ちましたが、強い部分があったからこそ今がある。
前回投稿では幼少期のことを書きましたが、
今回は少し成長した思春期を振り返ってみようと思います。
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小学校の高学年になり、なんとなく自分の家庭が他の家庭と違うのではないかと感じるようになりました。
友達との会話とか、友達の家に遊びに行った時の雰囲気とか、何気ない日常に中に、
我が家にはない「温かさ」のようなものを感じるようになりました。
中学生になると、間違いなく自分の家庭が異常な環境と気づきます。
その頃の父は全く働かず、毎日家にいる状態でした。
お酒の量は増え、タバコも吸い、パチンコにも通う。
そのお金は全て母が朝から晩まで働いて稼いだもの。
お酒を飲んでいない時の父はとても申し訳なさそうに母にお金をせがむ。
とても辛そうで、苦しそうな父の顔を見ると、母は渋りながらもついつい小銭を渡す。
いつか立ち直ってくれるはずと思い続けるも、その思いはすぐに裏切られる日々でした。
いつしか私の中に怒りのマグマのようなものが湧き起こるようになりました。
もう父にはお金を渡さないでと母にお願いすると、母は渋々渡さないようにするものの、
代わりに父は外で借金をするようになり、とうとう私の仲の良いお友達の家にまでお金を借りに行くようになりました。
色んな人から借金の返済を求められる日が続く中、他人に迷惑をかけるなら家族でなんとかしなければならないと思うようになりました。
それからまた母は父にお金を渡すようになるのです。
その時すでに、父と母は共依存の関係に陥ってたことに私は気づいていませんでした。
そしてこの後、私もその共依存に巻き込まれる人生になるとは思ってもいませんでした。
こういう状態でも母は他の人に辛いなんて絶対に言わず、必死に現実を隠し続けました。
私は辛い日々に耐えられず、一度だけ当時の担任に辛いと言いました。
心配してくれた担任は母に事情を聞いたのですが、母はもちろん本当のことは言わず大丈夫と告げました。
そして、母は私に「なんで先生に話したの?」と悲しい顔をしました。
それ以来、私はSOSを出したら母が悲しむと思い、誰にも辛いと言えなくなりました。
あの頃は妻が夫を支えるのが当たり前の時代。
耐え忍ぶのが美学と思っていたのか、母は考えられないほど耐えていました。
殴られても、蹴られても、血が出ようとも、母は絶対に弱音を吐きませんでした。
母が頑張ってるから私も頑張って耐えなければいけない。まだまだ私の頑張りは足りないと思い自分を追い込みました。
そしてこの頃、もしかしたらこの日常は夢なんじゃないかと思うようになりました。
目を閉じて、開けたらきっと現実はとても幸せな家庭。
何度も目を閉じて夢であって欲しいと願う。そして目を開け現実と分かると絶望感が私を襲う。
それを毎日繰り返すうちに、夢と現実が分からなくなる瞬間が増えていきました。
これが私の思春期のほんの一部です。振り返ると苦しくなります。
でも、もう頑張らなくてもいいよと自分に言ってあげたい。
あなたは弱くない。強いんだよ。必死に生きたのだから。
そしてあなたは何も悪くないよ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。