私は長い間、生きづらさと共に生きています。
その生きづらさは、小さくなったり、大きくなったり、
色んな形を変えながらも、決して消えることなく私のそばにいます。
たまにいなくなることもあるけど、何かの拍子に突然現れたりして、
「あっ、また来たか・・・」の繰り返し。
生きづらさの種類は様々。
その時の状況や、その時の体調によっても変わってきます。
若い頃は、この生きづらさというヤツが本当に憎らしくて、やっつけようと必死に頑張ってきました。
でも50歳になった今は、少し考え方が変わってきたように思います。
生きづらさに「愛着が湧いてきた」という表現はちょっと違うけど、
「これから先も変わらず自分のそばにいるもの」という認識に変わりました。
もちろん、私の中には生きづらさだけではなくて楽しいこともたくさんあります。
楽しいことの方が間違いなく多い。
でも、時々現れる生きづらさが楽しいことの邪魔をします。
最近気づいたのですが、
生きづらさから逃げようとすると、どんどん追いかけて来るけど、
いつもそばにいるもの、と考えると不思議と現れなかったりします。
生きづらさはあってはならないもの、と決めつけてたことが逆に自分を生きづらくしていたのかなと思います。
生きづらさがない自分になりたくて、でもなれなくて、
理想の自分と、現実の自分との距離が離れれば離れるほど生きづらい、と感じるような気がします。
生きづらさを抱えてる自分がありのままで、
そのありのままで生きることが、生きづらさを少しだけ減らせるのかなと思います。
完全に消えることはないけど、少しなら減らせる。
ブログのサブタイトルに「繊細さをプラスに変えて・・・」とありますが、
確かにそうなれば良いのかもしれませんが、
最近はそうならなくても良いのかなと思うようにもなりました。
繊細な自分がいるのも現実で、マイナスな部分があるのも現実なのだけど、
わざわざマイナスをプラスに変えないといけないわけでもないし、
マイナスはマイナスのままでもいいんじゃないかなと思います。
きっとこれからも、たくさん悩むし、たくさん落ち込むんだろうけど、
同じように、これからもたくさん笑うし、たくさん楽しむんだろうと思います。
ありのままの自分でいることは、とても幸せなこと。
「生きづらいですけど、何か?」
そう堂々と言える自分に少しだけ近づいたかなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。