繊細ちーさんの優しい笑顔の向こう側

繊細さをプラスに変えて50歳から楽しむことを見つけていくブログ

猫になりたかった私。ダンゴムシになりたかった友人。

皆さんは自分じゃない何かになりたいと思ったことありますか?



私は幼かった頃、猫になりたいと本気で思ったことがあります。



小学生のある日学校から帰宅すると、



玄関の外に置かれた洗濯機の上に一匹の猫がいました。



香箱座りでリラックスしている様子。



「かわいい・・・」



その日から時々やって来るようになった猫に、私は「タマ」と名付けました。



タマは気まぐれで、何日も現れない時もあれば、忘れた頃にふとやって来たりします。



一匹でいることもあれば、見たこともない猫を連れて来ることもあります。



そんなタマを見ていると、自由でいいなぁと思いました。



当時の私は、狭い鳥かごの中で暮らしてる感覚があって、一生自由な外の世界には行けないと思い込んでいました。



「猫になれたらどんなに幸せだろう・・・」



小学生の私は、心からそう思っていました。



先日、



うつ病を経験した友人と話す機会があり、私の猫になりたかった話をしました。



すると、友人はその気持ち分かると言ってくれました。



その友人はうつ病を発症する前、仕事に行く足取りが重くなっていました。



玄関を出て、会社に向かおうとするけど足が動かない。



ふと、足元を見ると何匹かのダンゴムシが目に留まり、しばらく見つめていました。



その時、そのダンゴムシがとても羨ましいと思ったと言います。



「何も悩みがないダンゴムシになりたいと思った」



そう話す友人に、私は「辛かったね・・・」と言う言葉しか出てきませんでした。



現在うつ病が回復した友人ですが、また再発したらどうしようと思う時があると言います。



うつ病を経験したことがない私は、友人の辛さは分からないし、



温かい家庭で何不自由なく育った友人は、私の辛さは分からない。



でも、本気で猫とダンゴムシになりたいと願った私たちは、何かしら通じるものがあるような気がします。



お互い弱い部分があると言い合えるのは、とんでもなく幸せなことで、



きっとそれが、これからの自分たちを支える大きな力になるんだと思います。



最後まで読んでいただきありがとうございました。