繊細ちーさんの優しい笑顔の向こう側

繊細さをプラスに変えて50歳から楽しむことを見つけていくブログ*アダルトチルドレン*HSP*

辛い時は支えてくれた人たちを思い出す

こんにちは、ちーさんです。
私のこれまでの50年の人生は、山あり谷あり決して幸せとは言えない人生でした。生き方に不器用な私は色んな人に支えられて、今なんとかここまで来れています。そう思うと実は幸せな人生だったのかもしれません。


そしていつも不思議ですが、人生で辛く行き詰った時は必ず私を助けてくれる人が現れます。そういう意味では人に恵まれた人生でもあります。


そう思いながらも、やっぱり日々過ごしていると色々と辛いこともあります。そんな日は私を支えてくれた人たちを思い出します。今日は私を支えてくれた人たちのお話です。


 

ずっと友達でいてくれた幼なじみ

幼稚園からずっと友達で親友がいます。私の辛い時期をそっと寄り添ってくれた幼なじみ。アルコール依存症だった父のことを知りながらも、そのことに触れることなく、ただただ一緒に遊んでくれました。


中学校の帰り道、公園のベンチに座り込んで昼間からお酒を飲んでる父を見ても、見てないふりをして明るい話題に変えてくれました。


父がお酒を飲むため友達の家にお金を借りに行っても、何事もなかったようにいつも通り接してくれました。


そして、大人になり父が亡くなった時友人に言われました。


「幼い頃、ちーさんが辛かった時期に何もしてあげられなくてごめんね。でも子供だった自分がいったい何が出来ただろう・・・でもやっぱり今考えても何も出来なかったと思う・・・」


その言葉だけで救われた気持ちになりました。


「ずっと友達でいてくれてありがとう」

 

見守ってくれた恩師

中学時代の部活の顧問の先生。今も年賀状のやりとりが続いています。我が家の経済状態を心配してくれて奨学金の手続きなど色んな配慮をしてくれました。


当時、先生から「時々悲しそうに笑うのが気になるが、大丈夫か?」と言われたことがありました。当時は話せませんでしたが大人になり話す機会がありました。


先生は両親のことを決して悪くは言わず、ただこう言いました。

「大人になるとみんな何かしら抱えて生きている。一生懸命育ててくれた両親に感謝しなさい」


80歳を越えてもまだまだ元気な恩師、今も心の支えとなっています。

 

アダルトチルドレンという言葉を教えてくれたAさん

私が結婚して地元を離れ、子供が出来るまで働いてたパート先のスタッフAさん。母より少し若い方でした。私がアルコール依存症の父のことで悩んでたある日、一冊の本を見せてくれました。それはアダルトチルドレンの本でした。Aさんは私にそっと言ってくれました。


「あなたはもう充分頑張ったのよ。これからは自分とご主人の幸せを考えて生きて」


そしてAさんは自分もアダルトチルドレンで苦しんだ過去を話してくれました。


まだこのブログでは書いていないのですが・・・


その頃私は、父と母と3人の共依存関係に陥っていました。その共依存の関係が深刻な事態になっているとは当時の私は全く気付いていませんでした。そんな私にAさんは優しく寄り添ってくれて、家族の共依存という歪んだ関係を断ち切るきっかけをくれたのでした。


もう20年以上前のことですが、Aさんとの出会いは私の人生の最大のターニングポイントとなりました。Aさんに出会ってなければ間違いなく今の私はいません。


70歳を越え、年賀状じまいのご連絡がありました。今もお元気にされてることを心から願っています。

 

超ポジティブで超鈍感な夫

こんな繊細で不器用なHSPの私を文句を言わず(言えないのかもしれない)支えてくれている夫。私と正反対の性格で超ポジティブで超鈍感。


私が不安になると必ず「大丈夫!なんとかなる!」と言ってくれます。そして不思議となんとかなります。敏感過ぎる私のことを「繊細さんは大変だね~」と笑ってねぎらいます。


きっと超鈍感な夫には分からない世界。それでも、分かろうとしてくれる夫。私も鈍感な世界は分からないけど、鈍感な夫がいることで私の世界は平穏に保たれる。


敏感な私に鈍感な夫を導いてくれた運命に心から感謝します。

 

最後に

今日までたくさんの出会いがあり、ここに書ききれないほどの人たちに支えられて今があります。私のこれからの人生はきっとまだまだ辛い事があるはず。でも自分が幸せになることがその人たちへの恩返しになると思うと、強く前向きな気持ちになれそうです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。