繊細ちーさんの優しい笑顔の向こう側

HSP&アダルトチルドレンの私が50歳から始める生きづらさ改善ブログ

家族って意外とやっかいです

こんにちは、ちーさんです。
皆さんは『家族』と聞いてどんなイメージが浮かびますか?私は直感的にサザエさん一家のような温かいイメージが湧いてきます。と同時に『やっかいなもの』とも感じます。今回はそんな『家族』についてのお話です。

 

 

親ガチャ

少し前に『親ガチャ』という言葉が話題になったことがありました。


「子供は親を選べない」「どんな親かは運しだい」


そういう意味が込められた言葉だと思います。初めてこの言葉を聞いた時、今っぽい表現だけど核心を突いてるなと思わず感心してしまいました。


私も親です。この言葉を子供から言われたら、やはり良い気持ちはしないです。


同時に私も子供でもあります。そして私は温かい家庭には恵まれなかったアダルトチルドレンもっと普通の家庭に生まれたかったと何度も思いました。それだけに、この言葉の重みも感じます。


『親ガチャ』という言葉は子供目線だと思いますが、その子供が年を重ね親になった時、その言葉を改めてどう感じるか、きっと違う感情が湧いてくるんじゃないかと思います。

 

温かい家族への憧れ

私にとって将来温かい家族を作るのが目標というか、使命感みたいなものがありました。子供の頃憧れていた普通の家庭を作りたい。自分の子供には自分のような辛い思いはさせたくないと、今思えば執着心のような感情があったと思います。


結婚し、親になり必要以上に完璧な家庭を目指すあまり、独りよがりの行動をしていたこともあったと思います。


親はこうあるべき 子供はこうあるべき


家族はこうあるべき


家族からしたら私の思いは窮屈で息苦しかったかもしれません。


思い通りにならない子育て、完璧な親になれない苛立ち、家庭を持って初めて親になるということの難しさを痛感します。

 

家族でも別の人格の集まり

子供が小さい頃、子供がすることは全部親のせいだと思っていました。子供が悪い事をすれば自分の育て方が間違っている。反対に良いことをすると自分が褒められてるような気持ちで嬉しかった。


一心同体のような感覚でした。


でも子供が中学、高校ぐらいになると、子供の考えが理解出来ない部分が増えていきます。分かろうとすればするほど分からない。一心同体だと思っていた子供に距離感を感じるようになりました。


今思えば、それが成長。子供は親の所有物ではない、そんな当たり前のことを忘れてたのかもしれません。


自分の子供であっても別の人格。家族であっても別の人格の集まり。それぞれの思いがあり感情がある。家族だから共有できる感情もあるかもしれないけど、個々の感情には境界線があり、無断で入ってはいけない。


でも家族だからこそ、その境界線が曖昧で線引きが難しい。


特にHSPの私は他人との境界線が曖昧で、その加減が難しく悩みやすいです。

 

家族だからやっかい

世の中に苦手な人や嫌いな人はたくさんいます。でもその人と一生付き合わないといけない訳ではない。でも、家族はそうはいかない。


昔の私はアルコール依存症だった父を憎み、親であることを否定したい気持ちがありました。でも、家族という見えない鎖でつながれたような感覚が常にありました。一生変わることのない親子関係に恐怖さえ感じていました。


離れたいけど離れられない


家族と言っても、100家族いれば100通りの形がある。自分の家族の形が良いものなのか悪いものなのか、どちらでもないのかなんて分からない。比べられるものでもないから。


家族って意外とやっかいなもの。

 

でもやっぱり家族はいい

やっかいだけど、いないとやっぱり寂しいのが家族。お互いを尊重し、許し合う関係を築きながら、それぞれが自立していれば安心出来る場所になっていく。親だから子だから、夫だから妻だから、その言葉に縛られない生き方をしたい。家族であることはずっと変わらないのだから。一人一人自分が思う道を選び、その先に幸せがあれば嬉しい。


そして人生の最後に、この家族で良かったと思えたら心から幸せです。

 

最後に

もし、ガチャガチャでサザエさん一家になれたら・・・
一見憧れるけど、浪平さんに毎日ガミガミ怒られるのは嫌だし、サザエさんとカツオのけんかを毎日見るのは嫌な気もする。完璧な家族なんてこの世にはないのかもしれませんね。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。