こんにちは、ちーさんです。
今回は私がHSPだと知ってやめたことの話です。
その前に、
私がHSPという言葉と意味を知ったのは45歳ぐらいの時。4,5年ほど前の事です。その日私は本屋さんに居ました。そこで出会った一冊の本が私の人生を見直す大きなきっかけとなります。
著者 武田友紀さんの
「繊細さん」の本
読んだ瞬間自分の事だと思いました。あまりにも当てはまる事が多くて驚きました。と同時に自分の生きづらさの原因が生まれ持った気質のせいなら、もうしょうがないと思いました。
もちろんHSPだけが生きづらさの原因ではなく、私の生まれ育った環境も大きく影響しています。それでも、過去の事はもう変えられないのと同じで生まれ持った気質も変えられない、受け入れようと思いました。
そして受け入れる事で、「もうやめよう」と思ったことがあります。いくつか挙げてみます。
自己啓発本
この50年の人生の中で、どれだけの自己啓発本を読んだか分かりません。辛くなると本屋さんや図書館に行きました。自己啓発コーナーの前に立つのは恥ずかしいので少し離れたベンチに座りひたすら読みあさりました。
自分の部屋の中は自己啓発本でいっぱいでした。それを見るたびに、なんて自分は弱い人間なんだろうとさらに落ち込んでしまう悪循環でした。
どの本も前向きな言葉が並べてありました。実際勇気や希望をもらえたのは確かです。でも、いくら読んでも私の生きづらさはなくなりませんでした。
私にとって自己啓発本は「自分を変える為にもっと頑張れ」と言われているような気がして正直しんどかったかもしれません。自分がHSPと知ってからは「今の自分のままでいい、もう頑張るのはやめよう」と言われたような気がしてホッとしたのです。
それ以来自己啓発本を読む機会はぐんと減っていきました。
苦手な事への努力
私は苦手な事が多いです。人間関係はもちろん勉強や仕事、人よりも劣っているなと思うことが多々ありました。努力すれば苦手な部分は必ず克服出来る。克服出来ないのは私の努力不足。もっともっと頑張らないといけないと思い、自分を追い込みました。
でもやっぱり苦手な事は苦手。限界があります。不器用な私は器用にはなれません。HSPと知ってからは苦手な事を努力をする時間と気力がもったいないと思うようになりました。
悪い言い方をすれば、あきらめや逃げなのかもしれません。でも、自分に優しくする為ならきっとあきらめても逃げてもいいと思うんです。
苦手は苦手なままでいい
開き直るととても楽になります。これからは自分が得意な事を努力していこうと思います。
繊細な自分を嫌う事
昔から神経質、気にしすぎ、繊細、敏感、ガラスの心、という表現に拒否感がありました。実際何度も人から言われてきた言葉です。自分でも分かっているけど、認めたくない。こんな自分は恥ずかしいと思っていました。
強い自分に憧れ真逆の性格を装ったり、と言っても出来る訳ないのですが、出来る風な言動をとったりしていました。そんな事をしても偽物の自分を演じるので苦痛で仕方ありませんでした。
「HSP」「繊細さん」という言葉が広く知られるようになってきました。「繊細さん」何だか優しい表現でとても好きです。私は繊細さんでとても傷つきやすい。人の痛みは自分の痛みに感じる。
その分とても生きづらいけど、それでも私は50年も生き抜いています。それだけでも自信を持っていいと思えるようになりました。
これからも、繊細で敏感で不器用な自分を大切にしていこうと思います。
最後に
今回は私がHSPと知ってからやめた事のお話をしました。今、生きづらさを抱えてる方が少しでも自分らしく楽でいられる事を願っています。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。