こんにちは、ちーさんです。
突然ですが、皆さんはコンプレックスはありますか?おそらく多くの人が一つや二つ持ってるのではないでしょうか。私はもちろんあります。今回は子供の頃一番抱いていた貧乏コンプレックスのお話をしたいと思います。
私はアルコール依存症の父を持つ家庭で育ちました。働かない父の代わりに家計を支えたのは母。いくつもの仕事を掛け持ちしていましたが、母の収入だけでは生活は想像以上に厳しいものでした。
家賃が払えない
私が生まれ育った家は、四畳二間の風呂なしアパート。ボロボロの外観で昼間でも電気が必要な真っ暗な建物でした。
しかも、いくつかの坂を上らないとたどり着けない場所に建っていたので、毎日の上り下りは大変でした。
そんなところに住んでた理由はひとつ。とにかく家賃が安い。父は母と結婚してまもなく転職を繰り返すようになっていました。家賃を払うのも厳しかったようです。
私が生まれ成長していくと、その安い家賃でさえも滞納していきます。何度も大家さんが請求に来ていました。優しい大家さんだった事が唯一の救いで何か月も支払いを待ってもらっていました。
ライフライン停止は当たり前
高校生ぐらいまでは家賃が払えないだけでなく、ガス、電気、電話は頻繫に止められていました。水道だけは命に関わるせいか最後まで止められませんでした。止まる時は時間を問わず突然なのでとても落胆します。
電気が止められると、懐中電灯とろうそくで過ごしました。ガスが止められると料理が出来ないので、母がなんとかお金を工面して支払いに行っていました。電話は電気とガスに比べれば生活にさほど影響はなかったですが、支払い出来ずにつながらないというのはやっぱり恥ずかしかったです。
学費滞納で呼び出し
小学校、中学校まではぎりぎり何とかなっていた授業料。高校は公立でしたが義務教育ではない為負担が大きかったようです。私が高校に入ると同時に母はパートから正社員として働くようになりました。当時、女性の中途採用のお給料はまだまだ少なく、しかも父のお酒、タバコ、パチンコによる借金の支払いもあり生活はとても厳しいものがありました。
度々、高校の事務室から呼び出されるようになりました。しかも、校内放送で。呼び出しの理由は授業料の滞納。3年間で何度呼ばれただろう。何度呼ばれても呼ばれる度に悲しく辛い気持ちになりました。
高校入学前、制服を買いに行った時、母は小さい声で店員さんに分割払いが出来ないか確認をしていました。出来ないと知ると母はとても残念そうでした。私は母に申し訳ない気持ちで一杯になりました。高校生の頃が一番家計の状況を把握出来るようになっていたせか、特に貧乏コンプレックスを感じていた時期だったと思います。
キラキラ輝く周りの友達
就職し自分で収入を得るようになるまでは、ずっと周りの友達がうらやましいと思っていました。お金持ちになりたいわけではなく、ただ一般的な生活がしたかっただけ。サザエさんような、ちびまる子ちゃんのような。
友達と遊んでいても心の底から楽しいと思った事は一度もありませんでした。ほんの一瞬楽しいと思ってもすぐ辛い現実が襲ってきます。楽しいと思う自分を自分で責めていたように思います。楽しむ資格なんて自分にはないと思っていました。そんな自分の周りにいる友達はキラキラしてとても輝いて見えました。
収入の安定は心の安定
常にお金の心配をしないといけないのは、大人でもストレスです。それが小さな子供だとしたら相当なストレスだったはず。働けなかった父も、必死に働いた母も、何も出来なかった小さな私もどれだけのストレスだっただろう。
収入が安定する事がどれだけ大事なことで、どれだけ難しいことか私には分かります。
収入の安定は心の安定
どの時代になってもこれは変わらない事だと思います。
最後に
今回は生活が苦しかった子供の頃のお話をしました。過去と向き合う事は辛い作業でもあります。思い出して手が止まる事もあります。でも、その辛かった過去を認め、頑張った自分を認めてあげる事が大事なこと。自信を持って前に進もうと思います。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございました。